3/20/2017

中間お知らせ

今日20日が春の初めです。
そんな中、私は何時もと変わりない暮らしをしている事を休載の中間報告としてお知らせさせて頂きます。


2017年の3月の私(2つの夢)

3月初旬の私の体調は何故か不調であり、これといって何処が痛いとか、辛いとか言うわけでも無いわけであったが、鬱症状が一段深まったという感じに身動きが儘ならない日々であった。
新しく受けた投薬の副作用もあったものか、左足底と右上半身に発疹も表れ、右目が何ともピントが合わせられない状態というか、目が回る様な感覚が常にあって、ちょっとの体の動きで息が上がり苦しく、顔面を含め体中に冷や汗が出た。
ぐったりとして頭が空白の状態に、投薬の作用もあってか睡眠は何時もよりも浅く、が、長くても何の夢というものも何も感じられない夜が続いた。
体調が回復に向かっているらしい夜には夢を見るようになった。

そんな或る夜、無宗教家の私には何とも説明のつかない不思議な夢を続き様に見た。
何故か岩山をよじ登っているのか、又は、崖の上から誰かに落とされたらしい私が辛うじて崖壁に張り付いているのか必死にその崖を上に向かおうともがいていた。
一足上によじ登れたと思った瞬間に知らない白シャツの男が姿を現し、「来れるものなら、来てみたら良い。これを貴女が掴むことが出来るのなら。どうだ。出来ないであろう」と私に向かって叫んでいる。
その白シャツ男の手をかざした先に小さめの火に燃える十字架が2個浮かんでいる。それらを掴むと、どうやら私の体はその崖を登り切れるらしいのだが、たいまつの様な火の塊の十字架を掴むと手が火傷をするのかもしれないという考えが私の頭を横切り、その真っ赤に燃える十字架を見つめるばかりの私であった。
躊躇している私が「バーニング・クロス(火に燃える十字架)の意味は何だろうと考えたその時に、目覚めながらも頭の中にはっきりとその様子が見えていた。
その日から数日はあの十字架を思い出しては、あれはどういう意味があったものやら、まったく何の意味ももたない唯の記憶の一端であったものか、私には解らない。無理に解る必要も無いのかもしれない。
宗教家の人々には確かにバーニング・クロスには何らかの意味があると、いつか聞いた事はあるが、無宗教家の私がこの夢を見たという事が何とも不思議である。


そして体調回復途にあると思っていた2,3日後に再び嫌悪感が戻り、視力が落ちて頭が朦朧として、鬱病の重症化によるらしい、生きる力というかエネルギー低下を起こしていると自覚した。
もしかして、明日は目覚めないのかもしれないという感覚に襲われたその夜に、夢を見た。
何処か野原を歩いていた。何とは無く静かで広々とした野原の一本道を何処へ向かっているのか解らないままに唯歩いていた。暫くするとその道の先は轟々たる河が横切っていているのが見えてきた、その水力の荒々しさは地を揺るがすほどの響きを轟かせていた。
誰か声が私の耳に「どうしますか。この先へ進みますか。」とはっきり聞こえた。
荒々しい怒号の河が私の道の先を浮かんでいるかのよう横切っているのを見ても不思議とも思わずに、その凄まじい流れを見た私は「こんな荒々しい河を行くなんて私には到底無理な事だ」と応えたように思う。
首後ろと頭にかけての痛みで目覚めた。視力が普通に戻り、頭痛こそあれ思考も普通の様で辛い目覚めではなかった。が、頭の中にまだあの荒々しい河の様子が写し出されていた。
他人が俗に言う、三途の川というものはもっと優しい小川のイメージであるものだが、私が見た河はそんなのとは全く違っていたので、果たしてあれは私にとっての三途の川であったものとはちょっとばかりは信じがたい。
今までにも何度か私の夢の中に表れる川というものは、幅広く流れの速い大河ばかりで、何時も小さな細く頼りなげな吊り橋が掛かっていて、とても渡り切れる状態ではなく、私はそれを対岸から見るだけに終わっている。まるでカナダ側のナイヤガラの滝の対岸を流れているあの大きな川にも似ていて、広く荒々しく、時には海と混じり合いまった様子の時もあった。
そもそも、私には水難の相があるものか、水辺と云うものが心地良い環境と感じた試しがない。水というものにある種の恐怖感さえ持っているのかもしれない。

体力が通常に戻った今、この体調不良時の2つの(十字架と川)夢が妙に気になった私である。欧米文化と和式文化が相まったのが、いかにも私らしいと云えないでもない。
この年となって悲観的になっている訳では無いと思われるのだが、在米50年ともなった今の私は日本人でもアメリカ人でも無い、無国籍の人間でもない、1個の塵となった気分でもある。無情。




2/08/2017

休載お知らせ

書いたり書かなかったりのこのブログが、今は書かなかったり、書かなかったりが続くようになってしまいました。
外出するでもなく、来客があるわけでも無い毎日は、特に思うところも無く、安穏と暮らしており、ただただ時が流れていくと云った状況で、話題不足に難を機し、ここ暫くを休載する事にしようと思った次第です。

暫しの間のごきげんよう。

2/06/2017

雑談日誌

無事末孫のデイヴィッドは私のポンコツ車を運転してオーランドに戻って行った。
初めての所得税申告をしたという彼は、少々の返還金が出ると調べがついたとかで、加え預貯金をかき集めての資金担保で、来月には中古車を購入する計画があるらしい。
それまでは私のポンコツ車が元気に活躍してデイヴィッドの暮らしを支えて欲しいものだ。(それにしても、思いの他のあのポンコツ車の活躍には大感謝である。)
🚙🚙🚙

↑↑↑を書くには書いたのだが、その後ボンヤリと時間を過ごしてしまい、ついに更新出来ないで日が過ぎてしまった。
今朝も好天気。
何故かキオニがニャウニャウと側に寄って来て、何やら煩い。今は側のPC台に飛び乗って、PCを押しのけて寝転がっている。
私が知らんふりしていると、寝転がったまま手をグイと伸ばして、私のスマホを触ってテーブルから落とそうとしたりの悪戯をしてみせる。
如何して欲しいものなのかは解らないが、構ってもらいたいのだろう。



前日にも話したが、この頃のお掃除ロボットの動きが面白い。
自分勝手にオンになって、ウロウロやるのだ。
今も独りでにピッと音を立てて、本体から外れてゴワゴワと回ったりしているが、数分でまた静かに元の位置に戻るはず。
家中に巡っている電波か何かに自然反応しているのだろうが、遠隔操作でもされているかのように機械が勝手に動くのが面白い。(ニャントリオもこの様子を何度か面白げに眺めていた。)
それでいて、家の中はちっとも綺麗にはなっていない。もう少し綺麗にお掃除が出来ると、良い子なんだけれどなぁ。
🌼🌼🌼

午後に主治医の所で検診がある。
これで今日一日は潰れる。他に何もすることがあるわけでも無いので、構わないのだが、医者嫌いの私には面倒くさくてならない検診日である。

返りに亜細亜マーケットに寄って、冷凍餃子を購入する予定。
☆☆☆





2/04/2017

雑談日誌 運気弱

運気が下がっている時期なのかもしれない。
体調がイマイチなところに、今の安穏生活を脅かすかの動きが見れて採れる気がする。
昨夜の就寝前に末孫デイヴィッドからドンの携帯に連絡があり、高速道路上で追突事故に会い、車が大破損したという。
幸い怪我人も無く、なんとか帰宅したらしい。
彼にとっては人生で初めての相棒車が破損解体の状態になったのは、かなり応えている事かと察しられる。これからの毎日の通勤、通学の交通手段も考えねばならない。
それで、今飛行機でこちらに向かっており、ドンが迎えに出ている。
また私のポンコツ車の活躍時が来たらしい。
電話連絡を受けた時はかなり驚き、ショックではあったのだが、20才のデイヴィッドには初めての体験なのであるり、これを機に色々考え学ぶに違いないと私達夫婦も気を取り直してきている。
人生色々あるのが当たり前と、現在の自堕落的安穏生活を引き締めにかかる時でもあるのだろうか。(弱気になってばかりでは何も良い事は起こらないものね)

私自身は今までの生涯で、数回の自動車事故にあっていて、ある時にはピックアップ・トラックでカリフォルニア州の高速道路101号線で、派手に横転してしまったのだが、その時さえ私は無傷で車から引き出された事があった。(笑い事では無いのだが、その時は私の運気は高かったのだろうね)

ともかく、いつもどんな状況でも、その時その時をしっかりと判断出来る人生を送ってもらいたいものである。頑張れ、若者よ!
🚙🚙🚙

この処、お掃除ロボットの動きが面白い。オートスタートで毎日2時間程、気ままに回っている。ちっとも床が綺麗にならないのが少しイラッとしてしまうのだが、ま、ご愛敬でウロウロさせているのだが、ある日など、あちらも、こちらもガサガサに塵がおちているのに、そこを避けてさっさと本体機に戻ってしまったり、その掃除具合に一貫性がなくて、こりゃぁ、不良品だねと思いつつも、まだロボット掃除より人間の方が確かであると認めてほくそ笑む私である。
ウチのもののようにデスカウントの安価な品質のものではなく、精巧高級なロボットだともっとしっかりお掃除してくれるのだろうが、今の時点で高価なものを購入する気持ちは無く、この駄目ロボットをせめてニャントリオと同じにペットとして可愛がっているわけ。
毎日大した成果の無い事をやり続けるのが、何か不憫というか、、、。
でも、機械は人間や動物のように「バカな者のほうが、選り可愛い」とはいかないけれど。
🌼🌼🌼

日本ではインフルエンザが物凄い勢いで流行っていて大変であると報道が毎日のように流されている。
A型、B型と300種類以上もの菌原があり、この近代に於いてさえ、完全防止は不可なのだらしい。
こちらでは、あの蚊の媒体のジカ熱の流行以来はあまりインフルエンザの話題は聞かない。といっても多分単に慢性化されての話であって、巷では年中インフルエンザが流行っているようだ。
こちらではマスクをするという習慣が無いので、菌の散らばりも広いのだろうが、何故か人々はマスク姿を怪しむ傾向にあって、マスク掛けは見かけられない。
そこはこちらの人間が無頓着というか、無関心というか、無神経というか、何とも言えないのが、事実でもある。
という私も、関心はあるのだが、その無頓着、無神経の一人であり、マスク掛けを出来ないでいる。
💊💊💊

2/03/2017

雑談日誌

体調がイマイチと云った具合で、巧く服装の準備が出来ていない。
毎朝ドンの起床時に今日の天候の様子を先に伺う。
「今日も良いお天気で暖かだよ」という。摂氏24度の朝。
窓を開け放し、空気の入れ替えをする。

そうか、日本では節分で豆撒きだったのだね。
その様子を報道で見て、何か癒された。 私は宗教家でも迷信家でもないが、こういう伝統的な風習習慣文化が好きだ。
「鬼は外、福は内」だものね。
前年にも話したと思うが、私の在日時代の北海道では豆撒きをして、年の分だけ豆を拾って食べるという事はやっていたが、この地方では其の頃は恵方巻というものを食べる習慣というのはまるでなかった。
今は色々な恵方巻があるのですってね。 どんな巻き寿司も好きな私なので、日本のこの習慣が羨ましい。
それでも、こちらのスーパ―や雑貨店にも並べられる事がある巻き寿司は一般に味が変だ。日本でのお寿司とは程遠いものに感じられる。お米が不味いし、ます寿司酢が使われていないし、クタクタ海苔に中身は不思議な具材だもの。 

鬼といえば、昨夜リチャード・ギア主演作品2002年映画「プロフェシー」(「蛾人間プロフェシー」を見るともなしに眺めた。
1966年代に多くウェストヴァージニア州周辺に出没したと云われるモンスターUMAの話なんだけれど、日本の鬼とは感覚的に違うので、節分とは関係ないか。
 若い頃には興味津々だったのに、今ではUMAだとか、超常現象だとかの話は飽き飽きしているので、映画の内容にも身が入らなかった。
その当時は話題の話だったというが、ドンもそんなUMAが話題になったのは覚えがないというので、こういうオタク趣味の問題でもあったのだろう。
今現在はUMAより恐ろしいものが進行中だもの。トランプ政権というモンスター現象が。

👽👾👽👾

2/02/2017

雑談日誌

今朝は珍しくアシュリーがプレイタワーに寝転がってじゃれていた。
何が原因なのか解らないのだが、ニャントリオがもうすっかりプレイタワーに登ったり、じゃれたりすることが無くなって、台所の隅の窓側にドンと置きっぱなしになっている。
アシュリーはキチンテーブルの上に置いてある箱類が好きで、何時も箱の上に座って居たりするのだが、キオニとイカイカはパテオに出るのにキチンテーブルに乗り歩きをするのだが、側のタワーには目もくれない。
新しい小物玩具もぶら下げてみたのだが、私がそれらをタワーに付けているのを『へっ、にゃにィ』と冷めた目を向けるのみだ。
ドンはアレコレと一生懸命に見て決めたニャントリオへのクリスマスプレゼントだっただけに、もう見向きもしないのが残念でならない。
ニャンコ達の考える事は益々解らない。何なのかナぁ。

🐈🐈🐈

気分が良い時には、PCで色々な動画を調べたりするのだが、ルーティン化しているのが、まず日本では今どんな話題で賑わっているのかを知るために、「羽鳥慎一のモーニングショー」だとか「ミヤネ屋」だとか、「とくダネ」だとかの報道ワイドショーとか会談とかを見る。文化や精神の違いを知るのはそれで結構私自身には刺激となる。
日本のお笑い芸やバラエティ、ドラマもたまに見るが最近では少なくなってきているのは、ちょっとストーリーやその成り行きなどにマンネリ化を見出してきているからか、若い頃には内容に集中してフォロー出来たのが、今は何かすぐつまらなく感じて話に入っていけないのである。(多分、私の年齢による知能力低下にもよるのだろうが)
テレビ番組や映画を見ると若い頃にはその見る内容に自分が一体化するというか、その話の中に入って行ってしまい、見終わってもその話から離れるのが難しい心情になったものだが、今は見ているその最中でさえ、自分はその話を外から眺めていて、そちらとこちら側という自分の存在が多対していて、あの頃のような一体性は感じないのだ。
感情や情緒が少しずつ欠いてきているという事は、この年齢には当たり前の事ではあるらしい。年齢相応に冷静沈着になったとか、性格が丸くなったとか言われるけれど、そうじゃないね。
ただ若くて熱い自分が居ないと知るのはちょっと寂しい。

ブログに載せる事が無くなってきて、今日は何とは無い愚痴っぽい話になってしまったが、別に世を儚んでいる訳では無い。笑
🌸🌸🌸

2/01/2017

雑談日誌

外は24度の好天気で、気分も上々である。
雨上がりの好天気が続いたからなのか、家の周り中に沢山のモナーク蝶がヒラヒラと舞っているのが見える。
🌼🌼🌼

昨夜は咳も酷くなくて、一応熟睡出来たと思われるが、体力低下による疲労感が抜けない。
体がなまって来て動きが悪くなるのを感じ、ベッドの上に寝転がったまま足の屈伸運動をちょっとした事が頭に残っていたのだろう、夢の中で足を上げて曲げる度に膝がリーン、リーンとドアベルの様に鳴り(因みに我が家のドアベルはピンポーンである)、それを伸ばすと今度は男性の声で「何か用ですか」と応えているように聞こえた。
(自分の胸から発せられるゼイゼイ・ヒューヒュー音が混じってそうきこえたものなのだろうが)
膝が笑うとはよく言う表現だけれど、私の膝は会話するんだなと可笑しくて笑ってしまった。夢の中であるのは気がついていて、「これが夢の中ではなくて、とうとう目覚めている時にもこうなったら、その時が大変なんだろうな。でも、実際にそうなると当人はおかしくなっているとは思わないのだろうから、その時はその時で周りが何とかするのだろうな」なんて考えていた。幻聴や幻視が現れるのを極端に恐れている証拠なのかしら。
今日も今の所まだセーフである。

ちょっと気分が良くなった折に久しぶりにニャントリオに紐遊びをしてやった。
久しぶりの紐遊びがやたら嬉しかったものか、3匹共に大興奮で目を真ん丸にして紐を掴もうと必死になる姿が面白く、私が笑うと更にじゃれつくという事を数分間もやると、さすが私は体力消耗で、まだやりたがるニャントリオに「また後でねー」と伝えて納得させたのであった。(ニャン達は納得はしていない。笑)

体力が無くなっているせいもあって、集中力に欠けているので、ドンがテレビで映画を見ているのを、私はボンヤリと見るでも無しに、眺めていたのだが、昨日のトム・ハンクスの「ブリッジ・オブ・スパイズ」はかなり良い映画に感じられた。
私はあの手の実話歴史的ストーリーが好きである。

映画が終わって普通チャンネルに戻すと、急に現実的な所に戻り、お騒がせ新大統領の話で盛り上がっていた。
ニュースや会談で政治家や作家や評論家が何やらワイワイ言っていても、この国の非常事態は収まる訳では無い。誰もがお手上げ状態といったところか。/(^o^)\ナンテコッタイと云っていられるのはいつまでの事やら、、、。
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